2014年1月19日日曜日

試写室の椅子から「愛情物語」

試写室の椅子 #2 として、今回は「愛情物語」です




この作品、はっきり言って、角川春樹氏の趣味そのものと言うか
春樹氏が、知世さんLOVEで作ったプロモーションビデオとでも言うか
まぁ、とにかくそんな映画です。


角川春樹氏については、当時この業界の異端児と言われ
賛否両論ありますが、角川三姉妹を発掘されたのは間違いなく
この方の先見の明であり、我々原田知世fanにとっては、この方が
いてくれたからとも言えると思います。

角川春樹氏については、他のサイトやこんなの読むと、色々わかるかと思います。







私も実はこの作品が、好きです。作品というよりこの時の知世さんが好き!
そんなわけで、多くの「愛情物語」に関係する物を今でも所有してます。




このblog起こしたのも、この作品があったからかもしれません。

ここらあたりは、またの機会に書くとして

とりあえず、趣旨である「試写室の椅子」抜粋#2をのせましょう


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映画「愛情物語」の公開五日前、事務所のスティール・デスクには
「愛情物語」のプログラムが二冊。

映画の撮影が終了して早くも二ヶ月半が過ぎた。
そして、撮影の間、私を支えていた棒の如きもの---
生きている実感とでも言えばよいか---が、あとかたもなく消え失せてしまった。






三月二日にクランク・インし、四月二十九日にクランク・アップ。
この二ヶ月間弱の間に、映画の銀幕とは別のドラマが
その裏側で進行していたのだ。だが、そのドラマも終わった。






「愛情物語」を撮ろうと決心したのは、昨年の三月中旬、映画「時をかける少女」の尾道ロケでである。
三月初旬に調布の「にっかつ撮影所」でクランク・インした知世と二週間後の尾道で会った。
原田知世は別人の光りかがやく存在として私の前にいた。
教室での一シーンだ。四十名前後の生徒の間にあって、原田知世だけが発光体であった。
この一人の天才少女を、自分の演出世界に閉じ込めて、遊んでみたいと、私はその時思ったのだ。
だから、「愛情物語」のメイン・テーマは、原田知世を本物の女優に育て上げることと、この少女
と映画ごっこを楽しもうという不適な感覚だった。






 私が演出した第一作目の「汚れた英雄」の主人公は肉体持った役者ではない。
五○○ccのレース用マシーンだ。
その結果、登場する人間は、全てオブジェにしてしまった。しかし、今回の登場人物は
全てその演技の中にドラマを内在させていなければならない。
果たして四十二歳の中年が十六歳の少女をどこまで
きちんと撮ることが可能だろうか?







 私は原田知世が何を考えて演じているのかを理解しようとは思わなかった。
実は、何が彼女をここまで頑張らせるのか、今もって謎である。
彼女自身も恐らく答えが出ないのではなかろうか。私の役割は、とにかく
どうすれば彼女が一番魅力的に撮れるかだけを考えた。「愛情物語」は、まぎれもなく
アイドル映画であり、アイドル映画の傑作たらんと監督を決意したわけだから。


二ヶ月弱の撮影の間、多い時で一日二度も、彼女ほど美しい存在はいないと思えること
があった。映画が完成して画面を改めて観ると、知世のバスト・ショットが実に多い。
つまり知らず知らずの内に、カメラが知世に近づき、彼女にとって一番美しいサイズを
撮らされていたのだ。






 そう、私が知世を演出したのではなく、知世に演出させられ、知世に撮らされていたことに
ようやく気がついたのである。


「アニマル・ハウス」や「スリラー」のジョン・ランディス監督の言葉に私は共鳴する。
『映画はファンタジーだ』


「愛情物語」はまさしくファンタジーであり、原田知世はファンタスティックな銀幕に棲む
妖精である。妖精は映画の撮影中だけ現実離れした美しさを発揮する。
こんなエピソードがクランク・アップに近いある日、多摩川の土手であった。

作家の片岡義男氏が陣中見舞いに現われ、黒のシーパンに同色のジャンパーを被た知世を見た。
知世は赤い自転車から降りて作家に短い挨拶を送った。知世のこぼれるような笑顔に、片岡氏は
「きれいだねえ」と、一言だけ返した。照れくさそうに下を向いてしまった知世が去ったあと





再び片岡氏は、
「角川さん、彼女に惚れてるでしょう」
そんなことはないと言下に答え、続けて、自分の子供より年下なんだから、と言い添えた。
しかし、そんなことを片岡氏に指摘されて間もなく、そうか、俺は知世に惚れて映画を撮って
いるのかと、ひとりで感じ入ってしまった。






 二年前の五月。映画「伊賀忍法帖」の最終オーディションの前日、有楽町の東京会館で
受験生の前夜祭が行われた。その会場で、オーディションを受ける少女たち全員が翌日の
本番にそなえて持ち歌を披露することになっていた。受験番号十三番の少女が舞台に上がると
そこだけピン・スポットが当たったような光がある。名前は原田知世とあった。知世は
大橋純子の「サファリ・ナイト」を歌った。






彼女が歌うと、それはもやは大橋純子の持ち歌ではなく、別のメッセージを込められ、まるで
浄化のエネルギーを発散する光体のように思えたのである。
 私はその時、何者とも知れぬ声を、はっきり聴いたのだ。その声は
「私を見て!」






当事者であると思われる少女は、しかし、歌い続けている。誰だろう?「私を見て!」と
叫んでいる以上、その声は目の前の原田知世と名乗る少女でなければならない。とすれば
今の声は実際の肉声ではなく、知世の魂から発した叫びなのだろうか?それとも神か?
私のイマージュを断ち切って、再び「私を見て!」と言う声が大脳を刺激した。
この声は、知世の魂が私に働きかけたテレパシーだという結論に、ようやく至ったのである。
二年前の話だ。






知世のテレパシーを受けとったのは、どうやら私だけではなかったらしい。今年になって
発売された原田知世の写真集のモノローグを開くと、
”自分の表現がうまくできる者は、周囲からよく見えるところにいる。やろうとしても
なかなかできないことなのだが、それを自然にやってのける人間がいる。




バレエ教師だった鳳洋子さんも、長年その姿をカメラで追った松本靖之さんも、口をそろえて
いうのだ。
トモちゃんは、自然にやっているのに『私を見て!』と言っているように見えた、と。
 ステージの上にスポットが移動する。なのに。常にそこに浮かび上がる影がある。


それが知世だ”
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ところで、この衣装って映画の中に出てこないですよね?







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